2006年に日本中を震撼させたライブドア事件。粉飾決算と風説の流布の罪に問われた創業者の堀江貴文は、一審・二審とも懲役2年6月の実刑判決を受け、2011年に収監された。事件をきっかけに新興市場は大暴落し、日本版SOX法の成立にもつながった。
2006年1月16日、東京地検特捜部がライブドア本社などを家宅捜索し、同月23日に堀江社長らが逮捕された。容疑は二つ。一つは、すでに支配下にあった企業を子会社が買収すると発表した偽計・風説の流布による株価つり上げ。もう一つは、2004年9月期決算の有価証券報告書に虚偽の内容を記載した証券取引法違反で、投資事業組合の株式売却益や未買収企業の売上を連結売上高に不正計上するなど、約50億円の粉飾があったとされた。
逮捕報道を受けて株式市場は大混乱に陥った。1月18日には売り注文の殺到でシステム処理能力を超え、東京証券取引所が全銘柄の売買を停止する異例の事態に追い込まれた。「ライブドア・ショック」と呼ばれたこの暴落で新興市場は長期低迷し、マザーズ指数は以前の高値を長く回復できなかった。ライブドアとライブドアマーケティングは2006年4月14日に上場廃止となった。
2007年3月16日、東京地裁は堀江に懲役2年6月の実刑判決を言い渡した。経済事件では執行猶予が付くのが通例とされる中で異例の実刑だった。判決は、堀江が各犯行を主導したとは認められないとしつつも、違法行為を許した経営者としての責任や反省のなさを重く見た。2011年4月に最高裁が上告を棄却して実刑が確定し、同年6月に収監、2013年3月に仮釈放された。株主代表訴訟では2009年5月、東京地裁が堀江ら旧経営陣に約76億円の賠償を命じた。
事件は証券取引法から金融商品取引法への改正や、いわゆる日本版SOX法(内部統制報告制度)の成立の契機となった。堀江は出所後、ロケット開発やメディア活動などで再び注目を集めているが、ライブドア事件は平成の経済事件史に残る転換点として語り継がれている。
堀江は1996年にウェブサイト制作会社オン・ザ・エッヂを創業し、2000年のマザーズ上場を経てライブドアに商号変更。ITバブルの寵児としてメディアに登場し、2005年にはニッポン放送株の大量取得でフジサンケイグループとの買収攻防を繰り広げた。同年8月の衆院選では広島6区から無所属で出馬し、亀井静香と対決して敗れた。
2011年6月20日、実刑確定後の堀江は東京高検に出頭。約400人の報道陣が詰めかける中、「人生をリセットして帰ってきたい」と語って収監された。出所後はロケット開発のインターステラテクノロジズへの支援や、飲食・メディア事業など多方面で活動を展開している。民事では2011年11月、東京高裁が旧経営陣への賠償額を1株550円に大幅増額する判決を下した。
ライブドア・ショックの爪痕は深かった。マザーズ指数をはじめとする新興市場の株価指数は以前の高値を長く回復できず、個人投資家の新興市場離れを招いた。事件を教訓に、2008年4月からは上場企業に内部統制の評価・報告を義務づける日本版SOX法(金融商品取引法の内部統制報告制度)が導入され、企業の財務報告の信頼性向上が図られた。
堀江は出所後、ロケット開発のインターステラテクノロジズへの支援をはじめ、飲食、メディア、教育など多方面で事業と発信を展開。「ホリエモン」の愛称で親しまれ、かつての「ITの寵児」から「異端の実業家」へとイメージを変えつつある。ただ、ライブドア事件の刑事・民事の両面での責任は確定しており、その評価は今も分かれている。
堀江が出資・支援するインターステラテクノロジズは、北海道大樹町を拠点に観測ロケット「MOMO」の打ち上げを重ね、日本の民間宇宙開発の先駆けとして注目を集めている。宇宙港の整備や小型衛星打ち上げロケット「ZERO」の開発も進められており、堀江の「宇宙への夢」は着実に前進している。
一方で、ライブドア事件の刑事責任は確定しており、粉飾決算で多くの投資家に損害を与えた事実は消えない。堀江自身は事件について「冤罪に近い」との立場を示すこともあるが、司法の判断は覆っていない。ITバブルの寵児から実刑囚、そして宇宙事業家へ。その波乱の軌跡は、日本の新興企業史と重なり合っている。